平成、大アイデンティティ時代
マズローの欲求五段階説ってあるじゃないですか。アレってよくできてると思うんですよね。
簡単に言えば、
生理的欲求(食べたい、寝たい、行きたい)
→安全の欲求(死の不安無しに生きたい)
→所属と愛の欲求(会社、部活、サークルなどの集団の一員になりたい)
→承認欲求(集団の中で認められたい、認められるような個性、アイデンティティが欲しい)
→自己実現の欲求(集団に振り回されず、理想の自分を実現したい)
の順で満たされてくよーみたいな。多分にオレの解釈が含まれてるのでご容赦ください。
で、日本の平成という時代は振り返ってみるとみんな承認欲求の所で止まって足掻いてた時代なのかなぁと、振り返って思います。かくいう自分も、自分というものを求めて毎日足掻いているわけですし。
僕は平成生まれ平成育ちのネイティブゆとり人なのでこれは想像なのですが、
きっと人類が生まれたばかりの時には生理的欲求(生きたい)を満たすのにみんな躍起になってて、
縄文時代とかは安全な欲求(死の不安無く生きたい)を満たすのに頑張ってる時代だった。
昭和とかの時代は所属の欲求の時代でみんな会社とかに所属してるので精一杯で、それさえ満たされれば大体満足だった。
そして平成が承認欲求の時代、みんながアイデンティティを求めて旅する大アイデンティティ時代だとすると、きっと次の時代は(いつ来るかわからないけど)自己実現の時代だ。
僕らの子供とかはみんな当たり前のように光る個性を持っていて、集団に振り回されずに自分の理想を体現するためにみんな頑張ってるのかも知れない。
楽しみダナァ。そしてできれば、もう少し後の時代に生まれたかったよ。さよなら平成。